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「極める」16番国鉄車掌車/緩急車

ワールド工芸16番車掌車・緩急車

バリエーションが揃ってきたワールド工芸の16番車掌車/緩急車ですが、様々な種類やバリエーションが存在するために非常に複雑な体系となっております。そんな国鉄2軸車掌車/緩急車を、ワールド工芸の製品を中心にまとめて解説します。
古くは大正末期ころから古い2軸客車を改造した「車掌車」、ヨ1やヨ1500などが存在しましたが標準化されたものではなく、雑多な外観を持っておりました。標準設計ということでは1934年(昭和9年)のワフ21000まで待たなければいけません。この特集ではそれ以降の国鉄2軸車掌車/緩急車を解説していきます。

ヨ2000

16番 国鉄 ヨ2000
1937年(昭和12年)より100輌が製造された国鉄初の鋼製車掌車です。両端にデッキを備えた構成はその後の国鉄車掌車の標準的形態となりました。昭和30年代末に車軸発電機、バッテリー、石炭ストーブの取付が行われ、さらに後年台車の2段リンク化改造が行われました。写真は大型の蓄電池を装備し、プレスドアに交換されたものです。
16番 国鉄 ヨ2500形 車掌車 組立キット

ヨ2500

16番 国鉄 ヨ2000
終戦後の1947年(昭和22年)、GHQにより国鉄の運転規定改訂が行われ、すべての列車の最後尾に緩急車の連結が必須となりました。 そこで急遽、明治・大正生まれの有蓋車ワ1の改造により700輌が製造された代用車掌車です。
側扉を固定してそこに乗務員扉とステップを設置、側面左右と妻面に窓を設置しただけの粗末な作りで、外観も様々となっていました。乗務員からは「寒泣車」などと揶揄されるほど劣悪な執務環境のため1959年には型式消滅されました。
16番 国鉄 ヨ2500形 車掌車 組立キット

ヨ3500標準型

16番 国鉄 ヨ5000 初期タイプA
ヨ3500形は1950年から1,345輌が製造された車掌車です。新製車とトキ900からの改造された車輛に大別されますが、形状にも種々の差異があります。後に2段リンク台車に改造されヨ5000形に編入されましたが、一部は未改造のまま北海道、四国や碓氷峠専用として使用されました。
写真は碓氷峠専用として晩年まで生き残った姿で、アルミサッシ化されています。
16番 国鉄 ヨ3500形 車掌車 (標準タイプ) 組立キット

ヨ5000初期型A(ヨ13500~)

16番 国鉄 ヨ5000 初期タイプA
1959年から1,000輌以上が製造された国鉄を代表する車掌車がヨ5000です。1段リンク台車をもつヨ3500を2段リンク台車に改造してヨ5000に編入されたグループが多数あり、この初期型もそのうちの一形態となっていてヨ2000によく似た車体を持ちます。後の標準型に比べ側窓の位置が高く、さらに中央に寄っています。新製時より電灯、ストーブが装備され、そのため屋根上には煙突が取り付けられています。ベンチレーターの数や間隔は個体によって異なり、後年設けられた側面の信号炎管の位置もまちまちです。
16番 国鉄 ヨ5000形 車掌車 (初期タイプA) 組立キット

ヨ5000初期型B(ヨ13550~)

16番 国鉄 ヨ5000 初期タイプB
戦時型無蓋車トキ900の部品の一部を流用して製造されたグループです。外観的には前項のタイプのデッキの腰部が鋼板で塞がれました。これは車内への隙間風を防ぐためだと思われます。以後の車掌車のデッキ部はすべてこの仕様となりました。このグループには窓配置の異なる個体もあるようです。
16番 国鉄 ヨ5000形 車掌車 (初期タイプB) 組立キット

ヨ5000標準タイプ

16番 国鉄 ヨ5000 標準タイプ
ヨ3500からの改造編入グループのうち最大輌数のものです。側窓の位置が初期型よりも低く、間隔が広がりました。デッキのドアもプレスドアに交換された個体もあります。
16番 国鉄 ヨ5000形 車掌車 (標準タイプ) 組立キット

ヨ5000最終タイプ(ヨ14815~)

16番 国鉄 ヨ5000 最終タイプ
ヨ3500の最終タイプはリベットの無い全溶接タイプの車体となりました。30輌しか製造されませんでしたが、そのうち2段リンクに改造されヨ5000に編入されたのがこのグループです。小型の蓄電池箱と器具箱が装備されています。なお、このグループのうち2段リンク化されなかったものが信越線用、北海道内用として少数が存在しておりました。
16番 国鉄 ヨ5000形 車掌車 (最終タイプ) 組立キット

ヨ5000最終タイプ(ヨ5050~)

16番 国鉄 ヨ5000 最終タイプ
新製時よりヨ5000として製造されたグループの最終タイプ。ヨ3500最終グループとほぼ同じ車体となっていますが、蓄電池箱は大型のものに変更されました。このグループのうち、低屋根化されたものが存在します(次項)。
16番 国鉄 ヨ5000形 車掌車 (最終タイプ) 組立キット

ヨ5000低屋根タイプ(ヨ5800~)

16番 国鉄 ヨ5000 低屋根タイプ
最初からヨ5000として新造されたグループを、北九州地区の車輌限界の低いホッパーなどでの運用を考慮して低屋根化したタイプで、ユニークな外観となっていました。同じく低屋根化改造された電車のように800番代が付与されました。晩年は本州へ転属したものもあったようです。
16番 ヨ5000形 車掌車 低屋根タイプ 組立キット

ヨ6000

16番 国鉄 ヨ6000
ローカル線で使用されてきた有蓋緩急車の職員居住性向上をはかり、1962年から905輌が製造された車掌車です。従来のヨ5000形に比べ全長が630mm、軸距離が300mm短縮され、窓数も3個に減っています。室内の机や椅子も3人から2人用に減らされました。当初から二段リンク台車を採用、最高許容速度85km/hでの運用が可能でした。屋根はカンバス張りが廃止され、鋼製屋根となりました。なお、ヨ6000に限らず石油ストーブ換装車は妻板に白帯が追加されました。
16番 国鉄 ヨ6000形 車掌車 組立キット

ヨ8000

16番 国鉄 ヨ8000
1974年(昭和49年)から5年間に1000輌あまりが製造された国鉄最後の車掌車です。緩急車の連結が廃止となった昭和60年までの15年あまり、全国各地の貨物列車の最後尾で大活躍しました。コキフ10000やコキフ50000のようにユニット化された車体を台枠にボルト固定する構造となり、それまでの車掌車とは外観が全く異なっていました。新製時より蛍光灯、石油ストーブ、トイレが装備され、乗務環境が格段に向上しました。床下には大きな水タンクが装備されたため従来型のブレーキシリンダーの設置ができず、ダイヤフラム式のブレーキが採用されました。
16番 国鉄 ヨ8000形 車掌車 組立キット

ワフ21000

16番 国鉄 ワフ21000
鉄道省時代の国鉄が1933年(昭和8年)から1939年(昭和14年)にかけて775輌を生産した、初の鋼製有蓋緩急車です。車掌室を大きく取り乗務員用設備を改善、後にストーブも設置されました。貨物室は2t積と小さいため、小口貨物などに利用されました。車軸は10tもしくは12t長軸で、戦後製造された同型車の短軸ワフ22000と異なります。ヨンサントオに伴い2段リンク化されましたが、一部の未改造車はワフ121000形と名称変更されました。簡易型の車軸発電機は採用されましたが、床下の蓄電池箱は装備されていません。
16番 国鉄 ワフ21000形 有蓋緩急車 組立キット リニューアル品

ワフ121000

16番 国鉄 ワフ121000
2段リンク化されなかったワフ21000は最高速度65km/h限定とされ、北海道内限定運用として低速車を示す「ロ」標記と黄1号の帯を巻かれ、ワフ121000と形式も変更されて1975年の全廃まで運用されました。
16番 国鉄 ワフ21000形 有蓋緩急車 一段リンク (ワフ121000) 組立キット

ワフ22000

16番 国鉄 ワフ22000
1947年から1948年にかけて975輌が生産された2t有蓋緩急車です。車掌室を広めにとった戦前製ワフ21000に準じた設計となっております。長軸車輪のワフ21000に対し短軸車輪となり、また溶接構造の車体となりました。当初は1段リンク式台車でしたが、ヨンサントオに伴い2段リンク化されました。なおこの際、2段リンク化されなかったグループはワフ122000形と改称されて黄帯を巻かれました。
16番 国鉄 ワフ22000形 有蓋緩急車 組立キット リニューアル品

ワフ25000

16番 国鉄 ワフ25000
1938(昭和13)年から910輌が生産された8t積有蓋緩急車です。戦時体制による輸送力増加の必要から貨物室を大きく取る設計となりました。ワフ21000で採用されたデッキも廃止されています。1段リンク式台車で、最高運転速度は65km/hでした。戦後、車掌の執務環境の悪さが指摘され、1960年からワフ29500に準じた設備改善工事が行われ、台車も2段リンク化されました。これに伴い、形式もワフ35000形に改められました。
16番 国鉄 ワフ25000形 有蓋緩急車 組立キット

ワフ28000

16番 国鉄 ワフ28000
1944年から1946年まで250輌が製造された戦時型8t積2軸有蓋緩急車です。鋼材節約のためワフ25000形を木造化した車体とされました。ベンチレータは旧式のトルペード形2個、もしくはガーランド形1個でした。資材節約のため無塗装のままで落成した個体もありました。劣悪な執務環境のため戦後に鋼体化も検討されましたが、結局1968年までに全廃されました。1962年に1輌が江若鉄道に譲渡されワフ280となりました。
16番 国鉄 ワフ28000形 有蓋緩急車 組立キット

ワフ29500

16番 国鉄 ワフ29500
1955年から650輌が生産された有蓋緩急車で国鉄最後の新製「ワフ」です。貨物積載量を5tとし、車掌室もある程度の広さを確保、デッキを備えています。当初から車軸発電機を備え、石炭ストーブも備えられていました。左右で窓の枚数が異なるのが特徴です。
16番 国鉄 ワフ29500形 有蓋緩急車 組立キット

ワフ35000

16番 国鉄 ワフ35000
1938年から910輌が製造された8t積み有蓋緩急車のワフ25000形は、戦時設計の影響を受けたデッキの無い車体を持っていましたが、1960年から844輌がワフ29500形に準じた近代化改造を受け、形式もワフ35000に変更されました。台車は2段リンク式となり、後に車軸発電機と蓄電池も増設されました。ワフ29500とは若干異なる窓配置、無骨なデッキ妻板等に特徴がありました。
16番 国鉄 ワフ35000形 有蓋緩急車 組立キット

車掌車の板バネ

16番 車掌車
積載荷重の大きな有蓋車などと違い、車掌車の板バネは乗り心地を重視し細く長くしなやかなものが採用されました。この写真はヨ5000(左)とワフ29500(右)ですが、車高も若干違います。

■参考文献
  • 「国鉄の車掌車」とれいん1982年5月号
  • 「車輛の視点」とれいん1984年9月号~1985年6月号

「極める」16番EF18

ワールド工芸16番EF18の細部を解説

 旅客用直流電気機関車EF58として完成目前だった32、33、34号機の3両が、ドッジラインの影響で、歯車比を変更して貨物用に設計変更され1951年に就役した、という珍しい生い立ちを持つEF18。通常ならば1、2、3号機となるところ、EF58の通番の32、33、34号機のままとされたのも特異なところ。
 たった3両しか存在しなかったEF18ですが、実は細部ディティールに個体差や時代による変化があります。このたびご好評につき再生産されるワールド工芸16番EF18は、そのあたりも余すところなく再現。今回の製品トピックスにてご紹介いたしましょう。

就役当時のディティール

ワールド工芸EF18細部写真 就役当時のEF18クローズアップ写真です。

ヘッドライトは旧型のLP42、直後には旧型の箱形避雷器、そしてワイパーも窓の両脇下隅に取り付けられていました。
ワールド工芸EF18細部写真 当初片側のみに設置されていた電暖用ジャンパ栓がパーツによって再現されています(左矢印)。テールライトも引っ掛け形。また、他社製製品ではなかなか再現されないデッキ下の形状も正しく表現されています(右矢印)。
 32、33、34号機は就役当時から細かい個体差が存在します。

ワールド工芸EF18細部写真運転席側窓のひさしの形状
(左:32,33号機、右:34号機)
ワールド工芸EF18細部写真主台車枠穴の形状
(左:32,33号機、右:34号機)
ワールド工芸EF18細部写真先台車は板バネとコイルバネが存在しました。
(上:板バネ33,34号機、下:コイルバネ32号機)

晩年のディティール

 1951年に就役し、1979年に3両すべてが全廃となったEF18ですが、ワールド工芸ではもちろん、晩年の姿も再現しています。ヘッドライトの大型化や避雷器のLA15化、電暖用ジャンパ栓の廃止等が共通の変更点となっています。

ワールド工芸EF18細部写真 晩年の32号機。ヘッドライトは大型化され、テールライトは埋め込み式に、ワイパーの取り付け位置も変更されています。テールライトの埋め込み化は意外と早く、1964年に実施されています。
ワールド工芸のキットではカバー付きLA15避雷器、信号炎管装備の1975年ころの姿を再現できます。またパンタグラフのシューもこの頃に軽量タイプのものに換装されています。
最晩年の33,34号機はHゴム窓に改造されましたが、この32号機のみは原型窓のまま廃車されました。
ワールド工芸EF18細部写真 32号機のみ、避雷器はパンタグラフの後方に設置されています。避雷器自体も新型のカバー付きLA15となっています。また、32号機のヘッドライトの台座は短いタイプとなっています。
ワールド工芸EF18細部写真 33号機の晩年の姿。ワイパーは32号機と同様ですが、ヘッドライトの台座は2本脚の長いタイプ、避雷器はカバー無しのLA15がヘッドライトの直後に、またテールライトは就役当時の引っ掛け形のままとなっています。さらに側面のエアフィルターも換装されています。
ワールド工芸のキットではカバー無しLA15避雷器、信号炎管装備の1975年ころの姿を再現できます。またパンタグラフのシューもこの頃に軽量タイプのものに換装されています。
なお、33号機は1977年にはHゴム窓に改造されました。
ワールド工芸EF18細部写真33号機のみ、近代電機のようなビニロックフィルターに換装されました。
(上:標準フィルター、下:ビニロックフィルター)
ワールド工芸EF18細部写真 同様に34号機の晩年の姿。ヘッドライトは大型で、台座は33号機と同様の2本脚タイプ。テールライトは埋め込み式となりましたが、34号機のみワイパーの取り付け位置が違います。また、避雷器はヘッドライトの直後ですが、カバー付きのLA15となっています。テールライトの埋め込み化は意外と早く、1961年に実施されています。
ワールド工芸のキットではカバー付きLA15避雷器、信号炎管装備の1975年ころの姿を再現できます。またパンタグラフのシューもこの頃に軽量タイプのものに換装されています。
なお、34号機は1976年末にはHゴム窓に改造されました。

ワールド工芸のEF18組立キット

ワールド工芸の16番EF18組立キットは様々なバリエーションを取り揃えて、各種タイプの作り分けが可能となっております。

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